UMINニュース通巻第7号


運営委員長退任のご挨拶

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国立大蔵病院院長(元東京大学医学部附属病院中央医療情報部教授) 開原成允

 このたび、3月をもって東京大学を定年退官いたしましたので、それに伴い「大学医療情報ネットワーク」運営委員会委員長を退任いたします。後任には既に北海道大学の櫻井教授を選んでいただいておりますので、あとを安心してお任せできることを大変ありがたく思っています。

 折角の機会ですので、大学医療情報ネットワークが生まれ育った経緯を私なりに記して退任のご挨拶に代えたいと思います。私が「大学医療情報ネットワーク」を構想したのは、1985年ごろであったと思います。当時は大型計算機センターがネットワークで結ばれるようになり、東大の計算センター経由で京都や東北のセンターにつなぐことができるのに感激したことを覚えています。これに触発され、大学病院にも大型コンピュータがたくさんあるのだから、これをネットワークでつなぐことができれば、医療上も研究上も大きな意味があると考えました。また、プログラムなども共同で開発できるようになるかもしれません。

 しかし、医療データがありますから、大型と同じネットワークにそのまま繋ぐことはできません。何とかこの点が解決できないものかと思い、学術情報センターの浅野先生に相談しました。そして教えていただいたのが閉域網を作るということです。

 これならば、医療関係者にも受け入れていただけるという自信がついたので、今度は文部省へ行ってこの考えを述べ、予算化してもらうことをお願いしました。私としては、ネットワークができれば必ず役にたつという漠然とした感覚はありましたが、正直なところそれほど具体的なイメージがあったわけでもなかったので、予算が認められた時には、急に不安になったのを覚えています。予算が内示された1988年1月に調査委員会を作っていただき、本格的な構想づくりがはじまりました。

 ネットワーク化するといっても、当時は大型計算機の時代ですから、つなぐこと自体が大変な作業で、しかもメーカからは予算を要求されました。各大学につなぐための予算をつけるため、一挙にネットワークはできず、最初は8大学を繋ぎましたが、その後は毎年3ー5大学病院をつないでいくということになりました。最初にこれを担当した大橋靖雄助教授(当時)は、まず接続することに大変苦労され、、そしてつないだ大学病院からは、このネットワークを活用していただくようにお願いすることに終始しました。しかし、数大学病院がつながっただけでは、実はそれほど大したこともできなかったため、利用率は最初は決してよいものではありませんでした。会計検査のあるたびに、こんな利用率では国費の無駄使いだと指摘されるのではないかと心配したのを覚えています。  しかし、ネットワークの意義も少しづつ浸透するようになり、利用者も順調に増え始めましたが、全国の国立大学病院がネットワークされたわけではないので、公式な情報をここで提供するわけにもいかず、1992ごろまではまだ模索の時代でした。

 このころになると、コンピュータネットワークに大きな転機が訪れました。それはインターネットが日本にも出現したことです。私は1991年の秋に米国の国立医学図書館を訪れる機会があり、親しかったリンドバーグ所長からHPCCのプロジェクトとインターネットの意義について色々教えてもらいました。当時まだ日本では、インターネットは一部の人しか知らず、帰国して東大大型計算機センター長などともインターネットをどうするか議論した覚えがあります。

 私にとっては、丁度更新の時期を迎えていたこのUMINをどうするかが大問題でした。それまでは、メインフレームをN1方式で接続するということで進めてきたこのネットワークをインターネットにも対応する「IP接続」に切り替えるのかという問題です。また、IP接続にすると今までの閉域網もくずれます。また、分散型のネットワークになると「UMINセンター」というのはそもそも何をする所なのかという問題にもなります。私は、日夜大変悩み、手あたり次第に色々な人の意見を聞いて廻りました。結論として、これからはインターネットの時代になると思い、思い切ってIP接続を主とすることに方針を変更しました。

 従来どおりメインフレームと思っていた日立を叱咤激励してUMIN2を平行して構築しました。新しいネットワークの上では、さっそくGOPHERでサービスを開始しましたが、これは大学関係では、インターネット関連サービスを最も早く開始した方であったと思います。

 幸い、この方針は誤りでなかったようで、その後は、新しいUMINは新任の櫻井助教授の下で順調に発展し、1995年には全ての国立大学病院がネットワークされて、今では日本を代表する医学情報ネットワークとなりました。

 私は、今UMINは、第二の変革期を迎えているように思います。インターネットが普及し多くの情報資源がこの上で作られるようになった中で、UMINは何をするのかが再び問われているのです。私は、こういう時代になったので、国立大学病院のイントラネットとしての機能がかえって重要になってきたような気しますが、勿論UMINの機能はそれだけではありません。幸い、新しく就任した木内助教授は、素晴らしい技術と新鮮なアイデアに満ちあふれています。今後は、櫻井委員長と木内助教授の下で、UMINは再び時代をリードするネットワークに発展していくことでしょう。私もそれを楽しみにして今度は外から見守っていきたいと思っています。


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