35・30周年記念誌

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UMIN35周年に寄せて

UMIN担当システムエンジニア
株式会社ChibaPlanningOffice
弓削 真希子

 UMINセンター35周年、誠におめでとうございます。
 私は、現在、宮崎に住んでおります。宮崎からVPN(Virtual Private Network)環境を使って、毎日UMINにアクセスし、開発作業等行っております。私が最初にSE(System Engineer)としてUMINセンターに常駐しましたのは、今から15年以上前になります。2008年、宮崎から上京した私はUMINセンターに常駐することになりました。それまでもSEとして働いておりましたが、医学関係の仕事をしたことはなく、またWeb関連の開発もしたことがありませんでした。そのような状態で大丈夫なのか不安に思いつつ、足を踏み入れました。当時の開発室には、SEが7、8名常駐していたかと記憶しております。女性は1人もおらず、先輩方ばかりで、開発室の雰囲気も出来上がっているところに足を踏み入れるのは大変勇気がいりました。最初に任されたのは利用者管理システムでした。ソースを読んでは調べて、家では開発言語の問題集を解いたりの繰り返しを行いながら与えられた仕事を必至にこなす毎日でした。そのうち、前担当者の異動のタイミングで、EPOC、DEBUTシステムを引き継ぎました。それから5年程UMINに常駐し、リプレースも2度経験させて頂き、SEとしてたくさんのことを勉強させて頂きました。それから私は地元である宮崎へ戻りました。宮崎でもSEの仕事を続けておりましたが、UMINの開発環境を思い起こすとPC1つをとっても、とても恵まれていた環境で仕事が出てきた事を痛感する日々でした。そうこうしているうちに、2020年、コロナが大流行しました。コロナに振り回された2020年も終わりに近づき、やっと宮崎でもリモート環境が少しずつ整い始めた頃、UMINのSEの先輩から「木内先生が連絡をとりたいと仰っているのだけど、連絡先を教えても問題ないだろうか」と連絡がありました。UMINを辞めてからかれこれ8年程経っていましたので、どうしたのだろうか?何か不始末が今頃になって発覚したのだろうか?と不安に思いつつ、木内先生と数年振りに連絡をとらせて頂きました。Zoomで久しぶりに木内先生とお話させて頂いたのですが、久しぶりの木内先生はなんだか若返っているようで、相変わらずお元気にご活躍されているのだなと大変嬉しく思いました。そして、木内先生から「僕はこれまで仕事はちゃんと出社しなければ出来ないと思っていたが、コロナが流行ってリモート環境を整えるしかなく、やってみたら、リモートでも仕事が出来る事がわかった。宮崎にいるままで構わないのでまたUMINで働いてもらえないか」という打診を頂きました。まさか、そのようなお話だとは思ってはおらず驚いたのですが、とても有り難く、そこからリモートという形でまたUMINで仕事させて頂く事となりました。
 私がUMINからはなれていた時期に変わった事の1つにスマートホンやタブレットの利用率の増加があげられると思います。以前は、利用者の方々が大学にある共有PCを使いまわしていることも多かったため、Basic認証による認証がそのままになっており、他のUMINIDでログインしたまま評価を入力しているのに気づかず、入力したはずの評価が登録されていないといったお問い合わせも多々あったように記憶しております。今ではスマホは誰でも持っているので、Web開発もレスポンシブデザインが当たり前になってきています。私は、現在、演題システムを主に担当させて頂いております。演題システムに関しましては、UMIN設立当初から開発、運用されているもので、出来上がっているものではありますが、より使いやすいものになるよう改良を重ねているところです。私自身が演題を投稿するといった経験をしたことがありませんので、使いづらさなどについては利用者様からのご意見が非常に貴重になります。演題システムは利用者も多いため、至らぬ点も多々あるかと思いますが、時代のニーズを取り入れ、利用者様から頂いたサービスに対する不具合や使いづらさ等を1つでも改善できるよう心掛けてまいりたいと考えております。