
35・30周年記念誌
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UMIN 35周年に寄せて
元UMIN担当システムエンジニア
株式会社日立製作所
道菅 紳介
UMINが運用開始35周年を迎えるにあたり、まずは心よりお祝い申し上げます。
私は2008年度から9年間、システムエンジニアとしてUMINに常駐し、センター長の木内先生を始めUMIN関係者の皆さまには大変お世話になりました。在任期間中に2回のシステムリプレースが行われましたので、延べ3つの世代のシステムに係わらせて頂きました。この間、エンジニア冥利に尽きる瞬間は数多くありました。大規模なシステムが考え抜いた設計通りに稼働を始めた瞬間、難解に思えた事象を1つずつ解きほぐして原因究明に至った瞬間、あるいは課題が無事解決して関係者に喜んで頂いた瞬間など、思い起こせばその時の情景がたくさん頭に浮かんできます。一方で、予期せぬトラブルにより、何日間も調査や対策に追われることもありました。疲労困憊し、果たして今日は何曜日なのか、ブラインドの隙間から差し込む光は朝日なのか夕日なのか、コップに入っているのは冷めたコーヒーなのか気の抜けたコーラなのか、よく分からなくなることも時にはありました。あれからずいぶんと月日が経ちましたが、当時のサーバ名や役割、そのサーバに起こったトラブルや対処法は今でもそらんじることが出来ます。その過程でUMIN関係者や利用者の皆さまから頂いた叱咤・激励も、表情や文面とともに覚えています。そのくらい当時の経験は私の血肉の一部になっていると改めて思います。
INDICE、EPOC/DEBUT、UMIN-CTRなどを有するUMINシステムは、今や我が国における医学・医療界の重要な情報インフラストラクチャーとなっています。その35年に渡る歴史はIT技術の変遷と密接に関わっています。システムエンジニアの立場からみると、その過程はIT技術の進化を先読みしながらの挑戦の連続でした。古くはN1プロトコルからTCP/IPへの移行、GopherからHTTP主体のシステムへの移行、国立大学病院を繋ぐ大規模なVirtual Private Network(VPN)の導入、オープン・ソース・ソフトウェア(OSS)の活用・移植など、UMIN関係者の皆さまと私の先輩にあたるシステムエンジニアが一丸となり、常に新しいIT技術を先読みして取り組んできました。これらは今となっては十二分に普及している技術ですが、当時としては先行事例も多くなく、様々なリスクを含んだ挑戦的なものであったと認識しています。このほか利用者の皆さまが直接目にすることはないところでも、例えば私の在任時には、プログラミング言語のバージョンアップに伴うシステムの大規模改修、仮想化基盤の導入、セキュリティ対策の強化など、様々なことに挑戦しています。
改めて私の在任時における当時のIT技術の世相を振り返ってみると、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)が急速に普及し、今ではほとんど耳にしなくなったWeb2.0という言葉が使われていた通り、インターネットがよりインタラクティブに、よりコラボレイティブに使用されるようになっていった時代でした。UMINシステムにおいても、利用者自身が特定サービスの画面をカスタマイズして利用できるようにするサービスや、自由かつ簡便に情報を書き込めるサービスをいくつも立ち上げ、利用者による情報発信や利用者間の交流を促進してきました。我々システムエンジニアも、UMIN関係者の皆さまとたくさん議論しながら、時には今日が何曜日かも分からなくなりながら、たくさんのソースコードを書きました。現在は役割を終えたサービスもありますが、挑戦する過程の産物として、UMINにとっても我々システムエンジニアにとっても有益だったと思っています。
もう1つの大きな節目の1つはスマートフォン(スマホ)の登場と爆発的な普及でした。当時はまだガラパゴス携帯電話(ガラケー)が主流であり、巷ではガラケー向けのシステムが盛んに開発されていた時代でした。このためUMINのWebサービスについてもガラケー用の画面を用意するべきではないか、という議論がありました。誰もがガラケーをもっている当時にあって、利用者の利便性を第一に考えることは当然です。しかしシステムエンジニアの立場からすると、パソコンに比べガラケーの画面は小さく解像度も低いので、パソコンのWebブラウザであれば1画面に収まるところをガラケーでは何画面にも分割する必要があり、ロジック自体を見直さなければなりません。この作業には多大な人手と時間がかかります。また、出始めたばかりのスマホがその後どのように発展するかは未知数でしたが、将来的により多くの事が可能になる兆しはありました。これらのことから、結局ガラケー対応は見送ることになりました。ほどなくして、ひと昔前のパソコンと同等の性能を誇るスマホが急速に普及した結果、多くの労をかけずともUMINのWebサービスがスマホのWebブラウザで閲覧できるようになりました。今となってこのことを振り返ると、様々な挑戦を繰り返してきたUMINにあって、ガラケー対応を見送るという判断がなされたことは本当に良かったと思います。もし当時ガラケー対応のためのシステム開発を進めていたとしたら、それが完成を迎える頃にはガラパゴスINDICEやガラパゴスEPOCなどと命名されることになっていたかもしれません。
ここには書ききれませんが、上記以外にも、UMINは利用者の皆さまのニーズに答え、またそれを掘り起こすべく、IT技術の進化を先読みしながら挑戦を繰り返してきました。システムの規模が大きくなり、その重要性や存在意義が増してくると、失敗が利用者の皆様に及ぼす影響が大きくなります。このため、我々システムエンジニアは挑戦に伴うリスクを避けがちです。ただ過去を振り返り、挑戦こそがUMINの歴史だと思うにつけ、リスクヘッジをしながら挑戦を続けることが重要だと改めて思います。それは容易ではなくとも、UMINの自由な雰囲気のもとでは十分に実現可能であると考えています。私の後任ともども、今後とも挑戦を続ける次第です。
末筆ではございますが、UMINの今後益々のご発展を、心より祈念しております。