
35・30周年記念誌
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UMINと私の研究者人生
東京大学医学部附属病院UMINセンターセンター長
東京大学大学院医学系研究科医療コミュニケーション学教授
木内 貴弘
私は1988年に内科の臨床研修を終えて、東京大学医学部附属病院中央医療情報部開原成允教授の大学院生となり、医療情報学を専攻した。当時、開原先生が民間企業から研究費を得て、医学文献の機械翻訳の研究を行っていた。このために、機械翻訳を中心とした自然言語処理の研究に従事することになった。当時は第二次AIブームでコンピュータによる自動診断システムが盛んに研究されていた(現在のブームは第三次)。機械翻訳・自然言語処理は現在AI技術の一部として扱われているが、当時はAIとは分けて扱われていた。機械翻訳・自然言語処理は、文書に辞書や文法ルールを当てはめることで実現可能であり、知的な処理を対象とするAIよりはやさしいと考えられていた。しかしながら研究が進むにつれて、AIと同等の難しさがあることがわかり、やがてAI技術と融合していった。当時、医学文献の機械翻訳の研究を行っていたのは、他にNaomi Sager(米国の著名な自然言語処理研究者で機械翻訳の書籍も出していた)のグループしかなかった。1992年度の国際医療情報学会では、機械翻訳に関するセミプレナリーセッションが開かれたが、大学院生の身分でSager先生と二人で30分ずつ講演を行うという身に余る光栄な機会をいただいた。自然言語処理の研究は、後にUMINオンライン演題登録システム等に生かされることになった。
1991年に中央医療情報部助教授であった大橋靖雄先生が保健学科疫学教室教授に栄転された。私は大学院を中退して、同教室の助手に採用いただいた。同教室は、当時日本の医学領域で唯一の本格的な医学統計学の研究を行っていた教室であり、統計学の勉強やデータ解析を数多く行う機会を得た。その一方、病院情報システムに関わることはできなくなった。この頃ちょうど、大学へのインターネットの導入が始まっていた(1993年に日本で初めて商用のインターネット接続サービスが開始されたが、それ以前は、大学等の研究機関以外の人がインターネットを利用することはできなかった)。そこで、臨床・疫学研究の情報システムの研究を始めることにした。統計の教室で情報の研究をすることになったのである。当時は、オンラインによる臨床・疫学研究データの収集(以下、EDC=Electronic Data Capture)は、電話回線を用いて、文字ベースのインターフェイスで行われていた。そこでWeb技術を用いると、より少ないコストで使いやすいグラフィカルインターフェイスが構築できるという内容の論文を発表して大きな反響を得た(DOI: 10.1016/s0197-2456(96)00104-3)。Web技術は使うがまだ電話回線による通信を想定していた。当時は、Webはまだ研究者や好事家の個人的な情報発信の手段としてしか認識されておらず、本格的な業務への活用は人々の念頭になかったのである。後にネットワークを介した臨床研究で特許を取得した会社が、複数のEDCベンダーを巨額の特許違反で訴えた。この際にこの論文は、ネットワークによる臨床研究についての世界最初の論文として裁判で広く活用されることになった。EDCの研究は、後にUMIN INDICE系の各システムの開発・運用に生かされることになった。
電話回線を使わず、インターネットでEDCを実施するためには、暗号技術によるセキュリティの確保が必須である。このためには、Webサーバ側とブラウザー側の両方のソフトに暗号化・復号化プログラムを組み込む必要がある。EDCの場合、Webサーバ側は1台で済むが、ブラウザー側は個別のパソコン毎に組み込む必要がある。EDCは病院情報システムのブラウザーを介してデータ登録されることがほとんどと思われるが、病院情報システムの端末のソフトウエア更新は動作確認が大きなネックとなり、実施が難しい。EDCサーバ、医療機関には、通常インターネットからの侵入を防ぐファイアウォールで保護されている。安全なWeb通信を行うために、ファイアウォールにWeb通信を暗号化・復号化するソフトウエアをインストールして、ブラウザー・EDCサーバ間のうちのインターネットにデータが出ているファイアウォール間の通信のみを暗号化する方式を提案して、実装した(DOI: 10.1109/NDSS.1996.492414)。そして、ファイアウォール間に仮想的な暗号回線を張る形態となるので、Virtual Closed Networkという名称で呼んだ。後に世界中で様々な用途で広く使用されることになるVirtual Private Network(VPN)という幅広い技術に対応する世界初の提案であった。この論文に関係して、バーネットXという会社がアップルやマイクロソフト等を訴えて、数千億円単位の巨額訴訟に発展した。私のVPNの研究は、後になって、UMIN(国立大学病院)VPNの構築・運用とセキュリティ管理に生かされている。
2004年にUMINセンターが新設され、教授に昇任した。2007年の公共健康医学専攻(公衆衛生学専門職大学院)設立時には、UMINセンターの大学院講座として、医療コミュニケーション学分野を開設し、ヘルスコミュニケーション学の研究を開始した。当時様々な領域でコミュニケーションの重要性が幅広く認識されていたのに対し、医学領域でのコミュニケーション研究、特にその中でもメディアを介したメディアコミュニケーションの研究者はほぼ皆無であった。ヘルスコミュニケーション学は、それ以来確実に研究者の数を増やし、発展を続けている。これについては、2年後の医療コミュニケーション学分野設立20周年で詳しく語ることにしたい。ヘルスコミュニケーション学研究は、サービス案内やマニュアルでの伝え方や分かりやすい表現等への工夫、コンピュータ・ユーザインタフェイスの改善、広報活動の推進等の形で、UMINのサービスの提供や広報に役立っている。
私の研究分野は、自然言語処理、臨床・疫学研究の情報システム、情報セキュリティ、ヘルスコミュニケーションと大きく変遷を遂げた。前二者は、自分の意思というよりは、周りの影響で選択することになった。私の研究分野は、今まで述べてきたようにすべてUMINのサービスに生かされることになった。私の知識、経験が不足していた教育・研修分野は、EPOCについては田中雄二郎、岡田英理子の両先生、DEBUTについては俣木志朗、長島正の両先生、eラーニングについては、藤崎和彦先生をはじめとする諸先生方に助けていただいて、サービスを運用することができた。ここにあらためてお礼を申し上げる次第である。