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UMINと東大病院と私

UMIN事務局
渡 里香


 30万名近い医学・医療関係者をネットワークユーザに持つUMINは、私が着任した1991年9月当時、1,000名程がユーザで、5,000名を目途にプログラムをSEさんが作っていると聞いていた。櫻井助教授(当時)に、面接当日、採用していただいた。コンピュータのコの字もわからなかった私を、細かい点まで優しくご指導くださり、「対する人には、出来るだけ親切に」という櫻井先生のモットーは、今も私の心の中に響いている。
 開原教授を中心とする中央医療情報部(当時)の中にUMIN事務局はあり、当初はオペレータさんと私、そして櫻井助教授というメンバーが主であった。
 開原先生、櫻井先生の周りには優秀なスタッフがそろっており、当時、講師や大学院生だった方々が、現在、各分野のトップで活躍されていることを思うと、日本だけでなく、世界を見据えた将来をパソコンのほとんどなかった頃から設計されて来た先生方の先見性と実行力に驚くばかりである。
 その大学院生の一人が、現UMINセンター長の木内先生である。同年代ということもあり、気軽に会話を交わしていた頃には、今の状況をお互い夢にも思わなかったと思う。
 パソコンを使っている人と言えば、大学や企業の研究者で、自宅にパソコンがある人も少なかった。それが、1990年代から21世紀にかけてのコンピュータの進化は目覚しく、今では小学校にパソコン教室があり、一家に一台はパソコンがある時代へと変貌した。
 それに伴って大きく様変わりした業界も少なくない。特に、印刷・出版業界は、DTP(DeskTop Publishing)の出現により、原稿入力、版下作成、プリントまで個人で可能となり、廃業に追い込まれる方々もあったと思う。そのような中で、UMINのカラーパンフレットを作成するという仕事があり、多少経験もあったため、その担当をさせていただいた。今もその表紙となっている青色の渦巻きは、DTP以前の版下作成法によって出来ていて、青い渦巻きの奥にかすかに見える部分には、白い花畑の風景写真を用いており、渦巻きは、私の手書きによる拙い毛筆、色は宇宙をイメージ。銀河と恒久平和を手作りにしたイメージで何とか仕上げた。出来上がった時、大江先生や木内先生たちに「よく出来てるじゃないの」と言っていただけたので少しホッとした。かなりのプロ級とは言えないものの誤字もなく、櫻井先生にも褒めていただき、子供のような自分がいた。
 私は宮澤賢治が大好きで、その研究会やグループにも所属しており、宮澤賢治生誕100年(1996年)には、加我教授(当時)のもと、入院患者さんたちの前で「銀河鉄道の夜」の歌劇をグループの仲間たちと演じさせていただき、マスコミにも取り上げていただいたこともあった。 
 私が初めて東大病院に来たのは、中学3年の真冬。同級生のAくんが脳腫瘍で入院、手術後、クラスの女子生徒10名近くでお見舞いに行った時だった。建物は暗く、壁には手術の古い油絵があり、重苦しい感じの中、Aくんと私たちは面会した。
 Aくんは車椅子に乗って頭と顔の半分は包帯のグルグル巻きで、私たちを見るなり、笑ってくれたのだが、手術のため、顔の半分しか笑っていなくて、明るく振舞おうとしているのがとても辛かった。別れる時もエレベータのドアの閉まるギリギリまで顔を寄せていて、ドアが閉まった途端、私たちはエレベータの中から泣き崩れて帰る道も泣きながら帰った。
 Aくんとこの世で会えたのは、それが最期だった。

 今のUMINセンターは、昔、脳神経外科外来があったところだと聞いているので、とても感慨深い思いが押し寄せてくることがある。

 「医師不足」とか「医療崩壊」と言われて、日々、マスコミでは記事になっている。 病院職員のハシクレとして、何とかできないのかという祈りのようなものも入るが、人手が不足しているのは、医師だけではないと思う。
 UMINの性質上、私は東大病院の一非常勤職員でありながら、全国あるいは海外も含むユーザを対象としているため、その業務量も膨れ上がっていった。時には、出張もあり、会議の準備、開催のために、冬の弘前大学、山口大学、三重大学へ同行させていただいたこともあった。各大学の方々には、本当にあたたかく仕事をサポートしていただき、お世話になった皆様には、深く感謝申し上げます。また、日頃から事務局やネットワークを通じて、様々なご支援をいただいている皆様にも深く御礼申し上げます。

  UMINを道にたとえると、

  道なきところへ道を 開原先生は造られ、
  その道を 誠実な強固な信頼性のある道へと 櫻井先生が造られ、
  その道を 走りながら考えて、日本国内にとどまらず、世界へ拡げようと されているのが木内先生だと思う。

 私はその側を、オロオロしながら、いっしょに考え、悩み、UMINが人の心と心を繋ぎ、生きる熱い血の通う、本当に愛のあるネットワークになっていくことを切に願っている。