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医学・医療のための情報インフラストラクチャー

東京大学医学部附属病院UMINセンター長・教授
木内 貴弘


 戦史の本を読むのが好きである。暇をみつけて、もしくは仕事中に嫌気がさして、戦史の本を読むことも多い。ナポレオン出現より前までの戦争では、糧食は現地調達が原則であった。つまりは、軍隊による民衆からの略奪である。このため、ある程度の大きさの軍隊は常時移動が必要であった。長期間同じ場所にとどまっていれば、略奪できる糧食がなくなるからである。この時代には、ロジスティクス(物流もしくは兵站)という概念はなかった。また情報(「敵情を報知する」という意味が原義)を収集しても、これらの情報を効率的に伝達する手段がなかった。
 近代戦争では、ロジスティクス、情報が重要な役割を果たす。そもそもロジスティクスも情報ももとは軍隊用語だ。前者は、形のあるものの流れであり、後者は、「情報」という形のないものの流れである。両方含めて、直接戦闘に参加するのではなく、直接戦闘に参加する部隊を支援する活動を一般に「後方支援」という。近代になってから、徴兵制による兵力の増大と兵器の近代化により、必要な糧食、弾薬量が増加し、とても物資を現地調達というわけにはいかなくなった。また電信や暗号の発達により、情報収集活動が広域で可能となった上、部隊の移動が鉄道によって高速に行えるようになったことで、得られた情報に基づいて、部隊を機動的に移動させて、敵を撃破することも可能となった。
 旧日本軍では、豪傑の将軍や勇敢な兵士がもてはやされ、ロジスティクスや情報等の後方支援が軽視されていた。ロジスティクスは、「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々トンボも鳥のうち」と嘲笑された。情報にいたっては、その存在意義すら一般に知られていなかった。豪傑な将軍や勇敢な兵士が活躍すれば戦争は勝てると思われていたのである。一方、米軍では、ロジスティクス・情報収集は重要課題であった。米軍はロジスティクスについての確かな見込みがなければ戦わないのである。例えば1個師団がある島に駐留するのであれば、食料、必要物資・資材等が一定の余裕を持って計算・調達され、確実な輸送手段が確保された。これに対して、日本軍が太平洋戦争で多数の餓死者、栄養失調者を出したことはよく知られている。尚、日本陸軍では、輜重出身で陸軍大将になった人は1人もいないという。情報収集についても、米軍は十分な配慮を行っていた。昭和19年の台湾沖航空戦では、日本軍パイロットの非常に過大な戦果報告の情報によって、米軍の機動部隊は壊滅したことになっていたが、実際はほとんど無傷であった。戦況の悪化に悩んでいた大本営は「勝利」の情報を疑うことがなかった。米軍では、戦果の確認は別の部隊が行い、このようなことがおきないような仕組みが用意されていた。また米軍による日本軍の暗号解読の話も有名である。
 私が、内科医を辞めて、医療情報学の大学院に入ろうとしたときには、そんなことをするのは止めておけと、ほとんどの医師にいわれた。ある医師には、「君は、体でも悪いのか」とまでいわれた。慢性疾患でもあって、医師の激務が務まらないためにそんな道へ進むのだと思われたのである。本当に心から心配して、いってくれただけに余計悲しかった。戦後の医学の世界でも後方支援活動の重要性への理解は十分とはいえないと思った。
 UMINでは、医学・医療の情報インフラストラクチャーとして、様々な情報サービスを行い、研究、教育、診療の後方支援を行っている。例えば、UMINのインターネット医学研究データセンターでは、毎月2つ程度の臨床・疫学研究プロジェクトを稼動させており、常時100程度のプロジェクトが動き、毎月2万例から3万例の新規症例登録が行われている。FAX、フロッピーディスク、USBメモリー等を使ってのデータ収集では、全UMINスタッフが関わってもこれだけのデータ収集は覚束ないであろう。また100例集めるのでも、100万例集めるのでも、コストがあまり変わらないのがインターネットによる電子化症例データ収集の特徴である。このため、最近は、1研究プロジェクトあたりの症例収集件数が多い症例登録(レジストリー)が増えており、毎月の症例登録数の増加につながっている。症例登録は、今後、5年、10年、15年に渡って継続していくことによって、疾病発生の状況や予後等を長期的に研究するものが多い。こうした研究には、時限付の研究費は馴染みにくい。UMINのような公的な情報インフラストラクチャーがこうした研究には必須である。
 UMINセンター自体でも独自の研究、教育活動は実施しているが、予算規模からみると後方支援活動が大部分を占める。また研究についても、後方支援を実施するための情報システムの研究開発が主体となっている。国立大学法人化後に大学の定常的な経費である運営費交付金は毎年削減されている。一方で、競争的な研究費等の枠組みが増えている。COEとか、特定領域、科学振興調整費等の大型予算の獲得が話題になり、華々しいが、こうした時限付の資金は恒常的な情報インフラストラクチャーの維持には向いていない。UMINの教員2名体制で、UMINの業務を実施した上で、常時多額の研究費を獲得するのは生易しいことではない。
 幸い東京大学医学部附属病院には、研究、教育、診療活動に対するUMINの後方支援の意義についての理解を頂いており、予算等についても配慮いただいている。UMIN自体も、収益事業を実施し、自前の資金を調達する道を探っているが、そのための戦略(これも軍事用語である)の立案、法制度上の問題、関係者の合意等には時間がかかることが予想される。今までのUMINに対する医学・医療関係者のご支援・ご協力に感謝するとともに、今後もUMINへのご理解、ご配慮を関係者にお願いして、本稿を終わりとしたい。