4.1 情報経済 ミクロ情報経済学 −− 「情報経済学」なる用語は,1961年のスティグラーの論 文をその嚆矢とするとされる。その以前においても,経済活動における情報の役割の 重要性は意識されてはいたが,これを正面から扱うことはなかった。古典的経済分析 における情報とは,すなわち価格だけであり,しかも市場参加者はこの価格をすべて 知っているという完全情報の世界を想定した議論がなされていた。ここでは,価格情 報は費用をかけることなく,しかも即座に入手可能なものとされている。 しかし実際には,株式市場のような例外を除けば,価格の調査にかなりの費用と時 間を要するのは常識である。もっとも,そうした手間をかければ,財をより安く販売 しようとする者を発見できるはずである。このとき,こうした調査によって得られる 購入費用の節約分を,その価格情報の価値と評価でき,その節約分と調査コストとの 差が最大になるまで価格調査を継続する意味があることになる。 つぎに,投資を決定する場合を考えると,投資から将来実現される収益は一般に不 確実であるが,この不確実性をいくらかでも減じるような情報が入手できたとすれば, それだけ有利な投資決定を行うことができる。そうした情報は,投資を有利にした分 だけの価値があることになる。このような,不確実性とその低減をもたらす情報の役 割を導入した経済取引モデルの分析を行う分野が形成されている。 この場合,情報とは価格情報とは限らずに,例えば財の品質,特性に関する情報な ども対象になる。そして,取引主体間で情報が非対称であることから,逆選抜(例え ば,個々の中古車の真の品質は現所有者のみが知るところであり,中古車市場では, 購入者は平均的品質を前提にして購買決定せざるを得ない。したがって高品質の中古 車所有者は不満であるから市場から退出してゆき,これが平均品質をさらに引き下げ て,結局最低品質の車ばかりが残る)や,モラル・ハザード(例えば,保険をかけた 人は,これをあてにして危険回避に対する努力が低下する可能性がある。しかし,保 険会社は,このような個々人の行動情報を把握して,査定することはできず,したがっ て保険事故が増大して,保険料は次第に高騰してゆく)などの問題が検討される。 上記はミクロ経済学における経済取引のモデルを,より現実の経済行動に近づけよ うという方向での展開であり,その過程で情報の役割が必然的に導入されたものとい える。一方,情報を経済財の一種として,その特殊性を分析して,情報財の価格,需 要と供給,市場,情報産業などについて解明しようとする情報経済論が,マクロ経済 の一分野になっている。 マクロ情報経済学 −− 情報経済論は,1962年のマハルップの「知識産業」端緒 とするもので,情報化社会と並行して議論が行われた。これは,経済のサービス化, すなわち物財に代わってサービスが優越するという現代のソフト化経済について,こ れを経済学的に正当に把握しようとする試みのひとつである。これは,従来の経済学 が基本的に物財の生産・消費を前提に構成されていたとに対する反省でもある。 経済財としての情報は,その特質として,排除不能性(情報は安価に複写でき,こ うした利用を不正として排除するのが困難である),協同消費性(もうひとりが情報 を得るについて,追加的費用を要しない,情報は見ても減らない)がある。これはま さしく公共財の特性である。しかし,これをもって情報はすべて公共財とされるべき であるといえないのは明らかであろう。たしかに,通常の物財の取引に比べて厄介な 点は多々あるが,情報商品の売買は現に活発に行われ,ますます盛んになっている。 そこで,こうした情報財取引の不正化や,情報産業の振興を図るべき経済政策などに ついて,例えば,複製防止装置や複写料徴収制度の経済効果を検討し,また産業関連 表を情報活動に着目して組み替えるといった試みがなされている。 情報学の役割 −− 上述のような,情報の機能を組み入れた経済分析や情報財に 関する経済学は,これをみる限り経済学の自然な発展,あるいは時代への対応という 路線上のものである。この意味でこれらは経済学そのものといえる。このことを前提 として,以下,情報学との関連を検討する。 経済学の分析用具やモデルは古典力学や数字に多くを負っている。情報学は,情報 の経済学や情報財の経済学にとって,あたかも古典力学や数学と同様の位置にあるも のと考えられる。上述のような経済分析において,その出発点で仮定される情報の機 能や特性は,経済学者がいわば常識的に認識できる範囲のことであって,科学的な吟 味,すなわち情報学的な吟味を経たものではない。これまでの段階では,こうした常 識的な情報規定で間に合う範囲での議論であったし,また一方,情報学の側でも,こ の点に関して組織だった検討がなされていなかったという事業もある。 しかし,今後情報経済研究のより一層の深化を図るに当たっては,情報学の立場か らの,情報の本質に関わる本格的な分析の成果矢踏まえてゆく必要があると思われる。 このことは,情報経済学に対する要請ではなく,むしろ情報各におけるこの方向での 研究の推進を示唆するものである。現代社会における情報の役割はますます増大し, その経済学的な検討はますます重要になっている。こうした状況のもとで,より有効・ 適切な情報の規定,モデル,分析用具等を情報経済学に提供してゆくことは,情報学 の重大な使命のひとつであるといえよう。