3.[解説] ベンゾジアゼピン健忘について
 
 ベンゾジアゼピン系薬物によって記憶の障害が生じることは古くから知られ、当初
はジアゼパムの静注が麻酔の前投薬として用いられて、手術中のできごとなどが記憶
に残らないことはかえって有利に作用するなどの報告があった。その後、静注のみな
らず、筋注、経口投与でも健忘が生じてくることが判明し、特にベンゾジアゼピン系
睡眠導入剤が多く用いられ、力価が強く、半減期の短いものが好んで用いられはじめ
てから臨床報告が増加してきている。
 
1.臨床上の特徴
 ベンゾジアゼピン系薬物服用前に獲得された記憶はよく再生されるのに対して、服
用後の記憶が障害されるという前向性健忘の形をとるのが特徴で、脳器質障害に基づ
く健忘と同じ形をとる。したがって、具象的なものより抽象的なもの、意味のあるも
のより無意味なもの、概念化しうるものよりしえないものなどのほうが障害されやす
く、また、短期記憶よりも長期記憶のほうが障害されやすいことになる。しかし、ス
タンバーグのメモリースキャン法を用いた研究で秒単位の短期記憶も障害されること
が明らかにされている。
 単回投与時、反復投与時とも記憶障害が生じるので、日中、ベンゾジアゼピン系の
抗不安薬や抗てんかん薬を服用している間にも、なんらかの型で記憶の障害が生じて
いる可能性が考えられている。
 日常の臨床場面では、ベンゾジアゼピン系睡眠薬服用の際に最も顕著にあらわれ、
1)服薬してから入眠するまでの間のできごとを忘れてしまう場合
2)入眠後なんらかの用があって起こされたときの言動を忘れてしまう場合
3)翌朝、目が醒めたあと数時間の記憶がない場合
の三つの形が知られている。
 アルコールがベンゾジアゼピン健忘を助長することはよく知られているが、これは
アルコールとベンゾジアゼピンが脳内の作用機構で共通部分を有している可能性を示
しており、互いに作用を強めあうものと考えられている。
 
2.ベンゾジアゼピン健忘の成因
 解剖学的に記憶回路の中枢に位置している海馬の活動性が障害されると、新しい記
憶が入ってこなくなり前向性健忘が生じることは器質性健忘として知られている。ベ
ンゾジアゼピンの作用機構は、ベンゾジアゼピンが海馬を中心に分布している受容体
に結合して、ガンマ−アミノ酪酸(GABA)系の活性を高めることで、情動性興奮を鎮
めることにある。海馬は、記憶回路の中心であると同時に、情動中枢の中心でもある
わけで、本来、ベンゾジアゼピンは情動中枢としての海馬に作用して抗不安作用や鎮
静・催眠作用を発揮するのであるが、海馬の活動性を抑える際に、記憶機能をも抑制
することになる。
 脳内の神経伝達系からいえば、情動系はセロトニンが関与し、記憶系はアセチルコ
リンが関与しているとされているが、ベンゾジアゼピンはセロトニン系にもアセチル
コリン系にも作用してそれを抑制することから、片方では情動性興奮を鎮めて抗不安
作用、鎮静・催眠作用を発揮し、片方では記憶機能を障害すると考えられる。
 
3.健忘をきたしやすいベンゾジアゼピン系薬物
 現在、我が国ではベンゾジアゼピン受容体に作用して効果を発揮するものとして、
ベンゾジアゼピン誘導体26品目(受容体に作用しないトフィソパムを除く)、チエ
ノジアゼピン誘導体3品目、シクロピロロン誘導体1品目が承認されて、それぞれ広
く用いられているが、作用機序から考えれば、これらベンゾジアゼピン系薬物のすべ
てに健忘作用があることになる。多くの臨床薬理学的研究や臨床経験から、受容体へ
の親和性が強く、臨床力価の強いもので、消失半減期が短かいものに健忘作用が強い
とするものが多い。その代表にトリアゾラムがあり、最も優れた睡眠薬として繁用さ
れていることもあって、その報告例も多い。
 しかし、すべてのベンゾジアゼピン系薬物は健忘作用を有しており、等価的使用で
は同程度の健忘作用を示すとの報告も多い。最も重要なことは、用量依存性を示すこ
とで、どのベンゾジアゼピン系薬物も高用量になるほど健忘作用が強くなることが明
らかである。トリアゾラムに報告例が多いのも、繁用されていることのほかに、0.5
mgを超える高用量の場合、あるいは乱用された場合、アルコールを併用した場合な
ど不適正使用のものが多いことがこれを示している。こうした場合、単に健忘のみな
らず、もうろう状態、徘徊、精神病様症状を呈することがあるとの報告もある。
 
4.健忘をきたさないための注意
 日中、抗不安や抗痙攣のために臨床用量の範囲内で使用する場合、健忘作用が強く
発現することはないと思われるが、高用量の服用を要する場合には、重要なできごと
や事項についてはメモをとる習慣を身につけることが大切である。
 睡眠薬として用いる場合には、
1)最少必要量を最短期間に限って使用することがなによりも大切である
2)服用後には速やかに就床すること
3)アルコールと併用しないこと
4)途中で起こされて重要な仕事をする場合には服用しないこと。やむをえず仕事をし
 たり、意志決定をした場合にはこれを記録するとともに、15分ほど起きていて、
 しっかり記銘してから再就眠すること
などがあげられる。
 実際には、長期服用を余儀なくされる場合が多いが、適正目的、適正使用を心掛け
ていれば、ベンゾジアゼピン健忘が生じてくることはまずないものと考えられる。
                   (北里大学医学部精神科教授・村崎光邦)