ゾウの時間、ネズミの時間、運動の時間

ゾウの時間、ネズミの時間、運動の時間

 

東京工業大学生命理工学部 本川達雄

 

 サイズという視点から、動物の時間について考えてみたい。動物の大きさが変わると、思っても見なかったことが、いろいろと変わることが、近年、明らかになってきた。サイズが変わると時間までもが変わるのである。

 ネズミからゾウまで、さまざまなサイズの哺乳類で比べてみると、「時間は体重の1/4乗に比例する」というおおよその関係が成り立つ。心周期(心臓が打つ時間間隔)や呼吸周期のような生理現象の周期もそうだし、懐胎期間や成獣になるまでの時間、寿命のような、一生に関わる時間も、ほぼ体重の1/4乗に比例する。大きいものほど時間がかかり、体重が10倍なら時間は1.8倍長くなるという関係である。

 動物がどのくらいエネルギーを使うかも体重と関係がある。体重は組織の量を直接反映しているのだから、単純に考えれば、エネルギー消費量は体重に正比例することになりそうだが、そうはならない。単位体重あたりにすると「エネルギー消費量は体重の1/4乗に反比例する」という関係になる。大きいものほど体の割にはエネルギーを使わないのである。

 エネルギー消費量と時間とで、一方は体重の1/4乗に反比例、他方は体重の1/4乗に正比例している。だから結局、時間とエネルギー消費量とは反比例の関係になる。時間の逆数は時間の進む速度とみなしてもいいだろうから、「時間の速度はエネルギー消費量に比例する」とも言えることになる。

 この関係は大きさの違う異種の成獣間の比較から導かれたものだが、同じ種の中、たとえばヒトの大人と子供との間にも成り立ちそうな気がする。子供は大人より、体重当たりにすればエネルギーをたくさん使う。だから子供の時間は速いのだとすれば、子供は同じ時計の時間内にたくさんのことをするのだから、逆に同じ一日でも、子供にとっては大人よりも長く感じられるだろう。これはわれわれの実感にあう話だと思う。

 何をするにもエネルギーがいる。たくさんエネルギーを使うとは、いろいろたくさんするということだから、これは生きていくペースが速いとも言えるだろう。エネルギー消費量(代謝速度)で生きるペースを計り、それを生物の時間の速度とするのは、生物にとって意味のある時間の表し方ではないだろうか。

 このように考えれば、動物の時間は時計の時間とは違い、みな同じというわけではないし、一様の速度で流れるものでもない。エネルギーを使わなければ生物の時間は流れず、たぶん冬眠中には時間はほとんど止まっているのだろう。エネルギー消費量とは、物理学的には仕事量であるから、生物においては、エネルギーを使って何かをすることにより時間が生まれてくると言えるのではないか。

私たちの体の半分は骨格筋である。筋肉を動かして仕事をしてはじめて、動物として意味のある時間が生まれるとすれば、体を動かさずに機械にたよって生きている現代人の時間が、はたして生きものとして意味のあるものかを問うことができると私は考えている。



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