現在,我が国においては大学改革が積極的に進められている。医学部,歯学部,薬学部,看護学部等の医療人育成に係わる大学においても,積極的な取り組みがなされているが,国際的にも世界医学教育連合のエジンバラ宣言(昭和63年,1988年),カナダのマックマスター大学の医学教育改革,米国ハーバード大学医学部のNew Pathwayの推進など様々な改善の動きが見られるところである。
本懇談会においては,平成7年11月の発足以来,上記のようなことを踏まえつつ,21世紀に向けた医療人育成のあり方について,教育部会で4回,懇談会の全体会で6回,有識者からの意見聴取を含め精力的に議論を行ってきた。
このたび,議論の結果をとりまとめることができたので,第1次報告として広く世に明らかにすることとしたものである。
(注)教育部会報告を含め,本報告における用語については以下により用いる。
(1) 21世紀の社会は,長寿化,国際化,情報化,環境問題など,人類を取り巻く状況が大きく変化することが予測される。現在の医療人育成システムが形作られた昭和20年代においては,平均寿命50年の人生を国内のみで過ごすという,言わば「50年生きる日本人」の社会であった。今日においては,人生80年時代を迎えており,今後さらに長寿になり,また活動範囲も日本国内にとどまらず地球規模での活動が期待される。すなわち,各個人も医療人も「100年生きる地球人」として人生を過ごす社会であり,この観点から医療人育成システムについて見直すことが必要である。
(2) 我が国における長寿化は,21世紀には他に例をみない超高齢化社会をもたらすことが予測されている。患者が抱える疾病は慢性疾患中心型になり,病いと共存しつつ,如何に質の高い人生を送れるかが課題になる。医療に加え,介護や福祉まで含めた総合的社会保障の再検討が進められており,その際国民負担及び公費負担の限界が問われている。さらに医療人自身も長寿になり,実働年限が長くなることに留意した医療人育成のあり方を考えることも必要である。
また,個人が地球規模で活動することは,疾病構造がボーダーレス化するとともに我が国の医療を受ける患者も多国籍化することを意味し,また,医療人も地球規模で活躍することが期待される。このような観点から,我が国の医療あるいは医療人育成システムが国際的に評価される内容になっているのかどうかについて検証することが求められる。
2. 医学・医療の視点
(1) 我が国の医学・医療は大きな変革期にある。国民皆保険制度は,国民に健康をもたらすことに大きく貢献してきた。しかしながら,医療の現場において,患者中心,患者本位の立場に立った医療が十分提供されているのであろうか。患者の人権や生命の尊厳を尊重した医療,患者のLOL(Length of Life,長命)と同時に患者のQOL(Quality of Life,生活と人生の質)を重視した医療が求められている。また,疾病の治療だけでなく,疾病の予防から,リハビリテーション,介護,福祉まで一貫して考えることが必要になっている。
(2) 近年の医学・医療の進歩は急速である。先端医療の進歩は様々な疾病の克服に貢献しているが,他方で脳死,臓器移植,体外受精,遺伝子治療など生命倫理に関わる問題を投げかけている。先端医療の進歩と生命の尊厳との調和をどのようにとっていくかは大きな課題である。
3. 教育の視点
(1) 大学・学部の選択において,いわゆる「受験学力」の偏差値が一つの判断基準になっており,結果として医学部を中心に「受験学力」が高い者が進学する傾向がみられる。医療人になるためには,確かに学習しなければならないことが多いが,単に「受験学力」を高めるだけの学習が,果たして良き医療人になるための基盤になるのであろうか。国民の健康を預かる医療人になるための人材をどのように選考すればいいのかは,大きな課題である。
(2) 医療人育成は,主として大学における医療関係学部において行われているが,国民の健康を守る医療人に求められる態度・技能・知識の修得が十分に行われ,その評価が適切に行われているのかどうかについて検討する必要がある。特に人間性豊かな医療人を世に送り出しているのかどうかが厳しく問われている。
単に「受験学力」が高いから医学部等への進学を決めるのではなく,医療人として活躍するに十分な能力を持ちつつ,明確な目的意識を持った者や医療人としての適性を持った者が,医療人になれるような人材選考システムを作ることが必要である。子供の時期から医療や福祉の現場に触れる機会の拡大,中・高等学校における進路指導の改善,社会人等を対象とした特別選抜の実施など大学入学者選抜方法の一層の改善,医療関係学部の編入学枠の拡大などを進めるとともに,医療人育成制度そのものの見直しが求められる。
2. 人間性豊かな医療人
医療人には,幅広い教養を持った感性豊かな人間性,人間性への深い洞察力,倫理観,生命の尊厳についての深い認識などを持つことが強く求められている。医療人育成における人間教育,教養教育の重視を徹底する必要があり,人間的に成熟し幅広い教養教育を修得した後に,医療に関する専門的な教育を行うことも考えられる。
3. 患者中心,患者本位の立場に立った医療人
国民が望む人間中心の医学・医療を推進することが重要であり,この観点に立って医療人に求められる態度・技能・知識を修得する必要がある。講座制の枠にとらわれないカリキュラム編成,少人数教育の推進,実習の充実,患者との接し方,インフォームド・コンセントやチーム医療の重視など,教育内容及び方法の改善が強く求められる。
4. 多様な環境の中で育つ医療人
現在は,高等学校卒業後ストレートに大学の医療関係学部に進学し,さらに卒業後においては,同質社会の中で職業生活を送ることになりがちである。大学における編入学枠の拡大,大学を含む医療機関間の人材交流の促進などを積極的に進め,多様な学習経験,社会経験を有する者が相互に切磋琢磨する環境を作る中でこそ,資質の高い医療人が育成されるものと考えられる。
5. 生涯学習する医療人
医学・医療は日進月歩であり,学部教育や卒業直後の研修で学ぶ内容は,医療の一部と言える。医療人の資質の向上を図り,患者に十分に奉仕できるようになるためには,医療人は生涯にわたり学習することが求められている。学生時代に自己学習力や自己問題解決能力を育成することが重要であると同時に,生涯にわたり医療人が学習を継続できるような環境整備を積極的に進めることが必要である。
6. 地球人として活動する医療人
21世紀においては,国際協力を含め,現在以上に地球規模で医療人が活動する機会が増大することを踏まえた医療人の育成が求められる。
1. 新しい学校制度の創設
21世紀におけるあるべき医療人育成の姿を考えた場合,高等学校卒業後に直接大学の医療関係学部に進学し,そのまま医療人になるという現在の育成制 度を見直すことが必要である。例えば医師の例で言えば,米国のように,異なる大学の学部4年において幅広い教養教育の学習を修了した者が,4年制のメディカル・スクールに進学し医療に関する専門的な学習を集中的に行う制度を設けることが考えられる。
この制度によれば,幅広い教養教育を修得し人間的にもある程度成熟した段階で進路を決定できること,多様な学習経験を有する者が混じり合う中で医療人を育成できることなどのメリットが考えられる。しかしながら他方,我が国ではリベラルアーツ型の学部教育が十分に実施されている大学や学部が少ないこと,医療人の育成年限が現行制度よりも2年間長くなり経済的負担も増すこと,18歳人口の減少や高等教育の大衆化の流れなどを踏まえた慎重論もあり,制度を変革するにあたっては,さらに幅広い議論が必要である。また,現行制度においても,社会人等を対象とした特別選抜の実施,医療関係学部の編入学枠の拡大,2年次修了時点等での進級のための選抜の実施などにより,実質的な改善を行うことが考えられる。
2. 患者に学ぶ実習の充実
医療人育成において,実習は,患者の疾病の状況や家族的・社会的背景,疾病の治療などの実態,患者やその家族と医療人との関係,医療チームの構成員間の関係などを理解する上で極めて有益であり,その中で医療人に求められる態度・技能・知識や価値観などが修得されていくものである。すなわち,医療人は実習の中で患者に学びつつ成長していくと考えられる。
我が国における医療人育成において,最も改善を要するのは,実習であり,医師及び歯科医師育成における臨床実習,薬剤師育成における実務実習,看護婦(士)育成における実習など,それぞれ飛躍的に充実させる必要がある。例えば医師の例で言えば,クリニカル・クラークシップ(医学生が病棟に所属し,医療チームの一員として患者の医療に携わる臨床実習の形態を言う。)を積極的に導入する必要があり,そのためには学部教育の改革と教育病院である大学病院の整備を図ることが求められる。
3. 地域の中で育つ医療人
大学及び大学病院という閉じた環境の中だけで医療人を育成する体制を転換する必要がある。地域の医療現場において,診断や手術が上手な医師,へき地医療に精通した医師,高齢者の歯科治療が得意な歯科医師,服薬指導の経験豊富な薬剤師,末期患者のケアに優れた看護婦(士),など多彩な医療人が活躍している。また先端医療だけでなく,老人保健施設や福祉施設,さらには在宅医療など,医療人が求められている場が多様化している。
21世紀において国民から信頼される医療人を育成するにあたっては,まず第一に大学人自身がその責務を果たすことが必要であるが,特に実習の充実を図るために,大学は,大学以外の多彩な医療人や医療機関等との連携を図り,地域の中で医療人を育てていくことが求められる。このため,大学の教員とともに医療の現状に練達した優れた医療人が,医療 現場での豊かな経験を踏まえ医療人育成に参加・協力できるよう,新たに「臨床教授(仮称)」制度を設けることを提案する。
本報告は,良き医療人を育成するために今後追い求めていくべき姿を提言しようとしたものであり,具体的な改善策をとりまとめた別添の教育部会報告も含め,これらの提言を踏まえて,関係各方面で医療人育成の改善充実に向けて積極的に取り組まれることを強く期待するものである。