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臨床研究の基盤としてのUMIN

東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻生物統計学教授
大橋 靖雄
(UMIN初代担当教官)


 筆者が、工学部計数工学科から新設の附属病院中央医療情報部に講師として移籍したのは1984年3月であった。当時の筆者は、応用統計学とくに多変量解析の工業への応用を主な仕事の場としていたが、「品質管理」が「統計的品質管理」から「全社的品質管理」にシフトし、やや行き詰まりを感じている時期であった。「統計学」を必要とするバラツキが工業の分野ではすっかり小さくなっており、これを反映して、外部から依頼される仕事の分野も、次第に環境や医学の分野に移ってきていた。ちょうどそのころ、中央医療情報部長に就任された開原成允教授(当時)からお誘いをいただいた次第である。
 開原先生が筆者に与えた仕事は、「東大医学部に生物統計(医療統計)部門を作ること」であった。「日本の医学にないものが二つある−生物統計とデータベースである」が先生の主張であり、これが筆者の招聘とUMIN創設の基礎にあったと推察する。1985年以降、生物統計講座の新設を概算要求したものの医学部内部でさえ上位にランクされないという状況が続き、講座新設は絶望的であった。ところが1990年、筆者が当時の保健学科疫学講座教授に就任し、1992年の健康科学・看護学科への改組に伴って、疫学・生物統計学講座が誕生することとなった。これが日本で最初の生物統計学講座である。UMINが誕生したのは1988年である。1987年筆者が米国から戻って与えられた仕事が、新たに開始された医療情報ベッドサイドトレーニングのお世話をすることと、UMINの立ち上げであった。この意味で、生物統計もUMINも開原先生の初志貫徹の成果であり、いずれも筆者が関与させていただけたことは大きな幸運であった。国産大型計算機をつなぐため、N1という今からすれば恐ろしく貧弱なプロトコルを採用し、BITNETというIBMのメーリングシステムを導入し、接続のために全国の病院を日立の技術者とともに訪問し・・・、なつかしい思い出である。UMINという素敵な命名も、日立の技術者との相談の結果であった。
 さて、2代目担当教官・櫻井恒太郎先生を京大からお招きし(1989年)、3代目担当教官・木内貴弘先生を教室の助手から送り出し(1996年)、これらの先生のご努力でUMINは大発展に至った。データベースとしての意義は周知であろうから、ここでは臨床試験の基盤としてのUMINの意義について紹介しておきたい。
 臨床試験のデータマネージメントの重要性と日本の立ち遅れを筆者が認識したのは1986-87年のアメリカ留学時であった。研究者主導臨床試験を含め臨床試験全体の彼我の差を痛感させられたが、データマネージメントはその象徴であった。ノースカロライナ大学チャペルヒル校(コレステロール低下による心筋梗塞低減を初めて立証した臨床試験LRC-CPPTのデータセンターがあった)では、NIH主導の大規模臨床試験のデータマネージメント、とくに見事なシステム化と規模に仰天した。シアトルにデータセンターを擁するSWOGデータセンターでは、RDBを臨床試験管理に用いる先駆的な試みに接した。ほぼ同じ頃、データマネージャや統計家と接する機会も得て、臨床試験におけるCRCやデータマネージャの貢献の高さを実感したことも思いに拍車をかけた。これはまずい!
 帰国後にかなりの危機感を持ち欧米の状況を報告したことがひとつのきっかけになり、わが国でも臨床試験を支える方法論であるデータマネージメントに対する関心が高まった。UMINが、動的割り付けを初めとする臨床試験データマネージメントサービスを提供するようになった背景にこのような事情がある。ちなみにWebによる動的割り付けを最初に報告したのは木内先生である1)。
 次に、2009年4月の「臨床研究に関する倫理指針」施行以降はさらに重要性をます「臨床試験登録制度」について簡単に紹介しておこう。
 臨床試験の資金提供と学術的独立性の問題は、アメリカにおける資金提供が公的なもの(主にNIH)から私的(つまり製薬会社)なものに移行するにつれ問題視されるようになった。ありていにいえば、自社製品にネガティブな結果の出版を製薬会社が妨害するという事態である。これに対し、医学雑誌編集者を中心としたICMJE(International Committee of Medical Journal Editors)は、資金提供者あるいはスポンサーが単独でデータをコントロールしたり出版を許可しないような状況で行われた研究は拒否するとの声明を発表し、Conflict of interestの開示を行うことも合わせて要求することとなった。しかしこれでも、ネガティブな結果は公表されにくい「出版バイアス」の問題は解決されなかった。ICMJEの最後の手段が「臨床試験の事前登録制」であった。臨床試験事前登録は、2004年9月にNEJM等の主要一般臨床医学雑誌が行った(われわれにすれば青天の霹靂の)宣言に始まった。すなわち、2005年7月1日以降に症例登録が開始される臨床試験については、一般国民が無償で検索できる非営利の団体が運営するサイトに当該臨床試験が登録されていない限り、上記の雑誌は投稿を受け付けないことが宣言されたのである。このいわば非常事態に対するため、わが国でUMINが登録を開始した。その後UMINはICMJEに公認され、2008年1月に発表されたJAMAの投稿規程においても、登録を認めるサイトとして日本からはUMINが紹介されることとなった。臨床試験登録制度についての最初の書籍2)には、UMIN関係者による日本の状況に関する1章が設けられている。


1) Kiuchi T, Konishi M, Bandai Y, Kosuge T, Ohashi Y: A world wide web-based user interface for a data management system for use in multi-institutional clinical trials-development and experimental operation of an automated patient registration and random allocation system. Controlled Clinical Trials 1996;17:476-93.
2) Matsuba H. Kiuchi T. Tsutani K. Uchida E. Ohashi Y: The Japanese perspective on registries and a review of clinical trial process in Japan. IN: Clinical Trial Registries: A Practical Guide for Sponsors and Researchers of Medicinal Products (edited by MaryAnn Foote). 2006;83-106.