沿革

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センターTOP UMINとは何か 沿革 運営組織 サービス内容等 利用統計

1.第I期UMINシステム(1989-1993) − N1プロトコールによる大型汎用機のネットワーク

内容
昭和63年(1988年)東京大学医学部附属病院中央医療情報部内に大学病院医療情報ネットワーク(UMIN)事務局開設
昭和63年(1988年)第I期システム用の電算機搬入
平成元年(1989年)N1プロトコールによるUMIN公式情報サービス開始
平成5年(1993年)第II期システム用の電算機搬入

 UMINは、1989年に国立大学病院のネットワーク組織として設立された。UMIN全体の運営方針を検討するために運営委員会が開設され、その下に職種別に小委員会(事務小委員会、薬剤小委員会、看護小委員会等)が設置された。その目的として下記が掲げられていた。

1) 最新の医学・医療情報の提供
2) 医学関係者の情報交流支援
3) 国立大学病院の共同プロジェクト推進
4) 共同医学研究の推進
5) データの標準化と病院統計の収集

 東京大学医学部附属病院にセンター用の汎用機が導入され、これと全国の8つの国立大学病院内の汎用機がスター型に接続された。その後、毎年数大学ずつ接続大学が増えていった。当初のUMINシステムは、国立大学病院からしか使うことができなかった。使われた通信プロトコールは、N1という名前の日本独自の通信プロトコールであった。N1は、当時日本で使われていた主要なベンダーの汎用機を相互接続することが可能な唯一のプロトコールであったが、文字ベース端末でのラインモードしかサポートしていない貧弱なものであった。

 運営委員会、小委員会では、どのような情報を掲載するか、どのようなデータベースを購入するか、どのようなプログラムを開発するか等のサービス内容についての検討が繰り返し行われた。その当時はほとんどのエンドユーザがコンピュータネットワークについて エンドユーザーへの普及・広報活動のため、UMINセンターでニュースレターやカラーパンフレット等を作成して広報に努める他、新規に接続する国立大学には、直接センターのスタッフが出かけていって担当者への説明会とエンドユーザーヘの講習会等を行った。 運営委員会・小委員会による検討及びUMINセンターによる熱心な普及・広報活動に関わらず、利用はあまり進まず、今日の利用状況と比較するとほとんど使われかなったというに等しかった。その原因としては下記が考えられる。

1) 少ない端末数
 当時のシステムは、各大学に設置された大型汎用機の端末から、UMINを使うようになっていたが、まだコンピュータの利用自体が充分でなく、端末数も少なかった。このため、使いためには端末のある場所に行く必要があり、非常に不便であった。

2) コンピュータリテラシー
 コンピュータの普及が充分でないために、コンピュータに慣れている職員自体が少なかった。このため、利用の敷居が高かった。

3) 使いにくいラインモード端末
 当時でもMS-DOSでフルスクリーンの画面は当然になっており、ラインモードの端末は使いにくいとみなさされていた。

4)進まない掲載情報量
 運営委員会、小委員会の努力にも関わらず、利用件数が少ないため、情報掲載を依頼してもなかなか応じてもらえなかった。このため、掲載情報量は現在と比較するとはるかに少なかった。


2.第II期システム(1994-1997) − インターネットによる文字ベースのシステム

内容
平成5年(1993年)第II期システム用の電算機搬入
平成6年(1994年)インターネット(TELNET)によるUMIN情報サービス開始
平成8年(1996年)インターネット(WWW)によるUMIN情報サービス開始
平成9年(1998年)UMIN医療・生物学系電子図書館サービス開始
平成9年(1998年)第III期システム用の電算機搬入

 1993年にUMIN電子計算機システムの新システムへの更新が行われた。この当時インターネットの普及が既に始まっており、今後のUMINのサービス形態をどのようにするかについて相当の検討が行われた。既存のN1接続施設のこともあり(1994年段階で、23大学がN1のみで接続されていた)、新システムはN1とTCP/IPを両方ともサポートしたシステムとし、今後接続をする大学はTCP/IPで接続されることになった。UMINによって初めてインターネットに触れる大学も多かった。またUMINは国立大学以外の医学・医療関係者にも提供されるようになった。UMINセンターに、N1用として大型汎用コンピュータが、インターネット(TCP/IP)用としてUNIXサーバが導入された。N1からは、大型汎用機を中継して、UNIXサーバにアクセスできる仕様とし、N1からもインターネット系のUMINシステムが利用できるようにしていた。

 新しいインターネット系のUMINシステムは、TELNETベースのフルスクリーンの文字端末を主体としたものとなった。初期画面から、TELNETベースの専用クライアントによる電子メールクライアントシステム、各種のデータベースがリンクされていた。メニューのデザインには、GOPHERが意識され、GOPHERのクライアントとシームレスの統合されていた。当時、Windows3.1やMacintoshの普及により、GUIが既に一般的になっており、N1よりは相当進歩したもののまだ充分な使い勝手にはなっていなかった。TELNETクライアントの互換性、特にフルスクリーンの制御関係が多く発生した。

 インターネットでの運用とともに、UMIN利用者は増え始めたが、その主な理由は国立大学における電子メールの利用であった。まだインターネットが導入されたばかりで、自前でメールサーバを運用していない大学も多く、インターネット電子メール=UMINと誤解する人もたくさんいた。こうした一方で、インターネットの普及はUMINに重大な課題を突きつけていた。インターネット普及によって、サーバを安価な費用で構築すれば情報の提供が可能になった。電子メ−ルの利用希望者が増えていることにより、短期的に利用者は増えていたが、次第に各大学にメールサーバが整備されていけば利用者の減少も予想された。N1の時代は、UMINが唯一の常時接続のネットワーク情報インフラであり、こうした通信設備を持っていることが重要であると考えられたが、インターネット時代に入って、UMINのようなセンターの役割が疑問視されるようになっていった。もはやUMINのようなセンターがなくても、WWWを用いて誰でも情報発信が可能であるし、安価な費用でメールサーバ・ニュースサーバ等のサービスの構築が可能になったからである。


3.第III期システム(1998-2001)  − インターネットによるWWW主体のシステム

内容
平成9年(1998年)第III期システム用の電算機搬入
平成9年(1998年)N1プロトコールによるUMIN情報サービス中止
平成11年(1999年)国立大学病院VPN(UMIN-VPN)稼動
平成12年(2000年)UMINインターネット医学研究データセンター開設
平成13年(2001年)第IV期システム用の電算機搬入

 1995年ころには、WWWが、Gopherを退けてインターネット利用の中心となっていた。UMINでも、1995年から一般公開用WWWサービスを開始していた。WWWの利用によって、インターフェイスが直感的でわかりやすくなった。またWWWでは、TELNETベースのシステムと比較して、対話型のプログラムがずっと安価に短時間で開発可能であり、これは非常に大きなメリットであった。このため、第III期システムは、完全にWWWを中心としたシステムとして再構築されることになった。

 インターネット時代を迎えて、予算も増額された上に、プログラムの開発が効率的になったために、以前から構想されてきたいくつかのプログラムの開発やデータベースの開発・購入が円滑になされるようになり、提供される情報システム・コンテンツが増加した。このときには、提供されるコンテンツは、大別して、各大学より持ち寄りのもの、UMINセンターで開発したもの、共同購入された国立大学限定のものに区分できた。メール利用者の多くは、次第に自分の大学のサーバに移行していったが、一定の利用者は情報システム・コンテンツの利用のために残るようになっていった。インターネットの普及によって、情報発信、情報交流が安価にできるようになったが、個人や研究室レベルでの情報サービスには限界があり、提供する情報の内容や情報サービスの信頼性を維持するためには、やはりUMINのようなセンターが必要であるという認識が広まっていった。

 インターネットを利用したビジネスが盛んにもてはやされており、医療分野もビジネスの対象として注目されていた。多くのネットベンチャーが設立され、インターネット将来への期待から値上がりした株式で集めた金額でコンテンツを集め、利用者を早期に集めて囲い込む戦略をとっていた。一度獲得した利用者は、簡単には離れていかないと考えられ、早期にたくさんの利用者を採算を度外視しても集めることが重要であるとされていた。

 UMINは、国によって運営される公的な組織であったために、株式による資金調達はできなかったし、様々な事務手続き上の問題からコンテンツの利用料を徴収や広告掲載もできなかった。各大学からの持ち寄りのコンテンツやUMINセンターの限られた予算で作成されたデータベースではとてもベンチャー企業には太刀打ちできないように思われた。有用なコンテンツを武器にしたネット企業が多くの数の利用者を囲い込んで、研究者同士の情報交流のインフラまでをその手に握る可能性が考えられ、公的なネットワーク組織としてのUMINの将来を危ぶむ声が再び出来るようなってきた。

 上記のような状況で、UMINは、ネットベンチャーとはまったく別の戦略をとった。つまりコンテンツの作成・購入に乏しい予算を振り向けないということである。コンテンツではなく、ソフトウエアによる情報サービスに重点を振り向けた。まず行ったのが会員制ホームページサービス事業、つまり学会や研究者等の第3者がコンテンツを提供するためのサーバやアカウント管理の提供を行う事業であった。まず開始したのが、会員制ホームページ用のサーバを用意し、会員制ホームページ運用用のプログラムとどの学会でも共通に使いそうなアプリケーションプログラムの開発を行った。学会会員や研究グループのメンバーを一括登録して、会員専用のホームページを作成する。学会・研究グループ側では、HTMLファイルを掲載する他、UMINが作成したプログラムを利用することが可能である。各学会に参加を呼びかけたが、無料サービスと国の組織という信用もあり、日本消化器病学会、日本循環器学会等の大きな学会がこの呼びかけに応じ、会員を全員登録した。同じIDを利用して、複数の自分が所属している学会や研究グループの会員制ホームページをアクセスできるので便利で評判となった。

 次いで開始したのが、学術集会演題登録システムである。UMINがASPとなってシステムの提供を行い、各学会等がこれを利用するシステムである。使いやすさと学会の様々要望の耐える柔軟な機能を特徴とするシステムである。日本の医学系学会の90%以上が利用し、デファクトスタンダードになっている。

 その次が、インターネット医学研究データセンターである。14プロジェクト、症例数2万例が登録しており、日本で最大のインターネットベースのデータセンターになっている。日本におけるインターネットベースの医学研究のほとんどすべてを行っている。

 いずれのサービスも、日本国内ではUMINが一番先にはじめて、初期に大きなシェアを獲得することに成功した。これらのサービスは非常に魅力的であり、収集された演題抄録を会員に提供するためや学会主導の研究プロジェクトのデータ登録のために、会員を一括登録する学会も増えていって、UMINの登録者数は更に増加した。学会は、会員全員が登録すると、UMINのサービスを使うことを学会から会員に案内を行う。まず採用してもらうために公的な機関であることが大きなプラスになった。これをきっかけに多くの医学研究者が実際にUMINのシステムを使い出すようなことがおこった。我々の経験によれば、IDとパスワード配布しただけで、何回か印刷物や集会の際の呼びかけ等がないと、大半が使われずに紛失してしまう。学会は、会員からの信用が高く、学会が会員に呼びかけるやり方は利用の促進に非常に有効であった。

 UMINで作成するコンテンツは、開発・収集に熟練や知的作業を伴わないもの、即ち作成が安価にできるものに限定した。例えば、学会データベースや研究助成データベースのような単純にデータ送付依頼を送って帰ってきた事実をデータベース化すればよいというようなものである。このような依頼を行った場合でも、国の信用は絶大であり、非営利の大学が運用する組織ということで、通常営利企業が依頼したのでは得られないような協力を得ることができた。このため、学会・学術集会データベース、教職員公募データベース、研究助成データベースでは、医学分野では簡単にナンバーワンになることができた。


4.第IV期システム(2001) − 21世紀の日本医学の情報インフラ

内容
平成13年(2001年)第IV期システム用の電算機搬入
平成14年(2002年)大学病院医療情報ネットワーク研究センター独立設置

新世紀にはいるころには、UMINは魅力あるたくさんのサービスと多くの登録者を持つ日本医学界のインフラストラクチャーに成長した。魅力的なサービスが利用者を呼び込み、利用者が今度はサービスを呼び込む好循環が始まったのである。ユーザアカウントは、情報を配信する場合には配信対象の限定に、情報を収集したい場合にはデータエントリー者の特定に利用できた。新たなサービスとして、VODによる番組配信サービス、医学教育のオンライン評価システム、医学電子教材の配信システム、インシデントレポート、医薬品情報オンライン配信システム等のために利用したいという申し出が外部からなされた。もはやこちらから何もしなくても、使いたいとグループが依頼にくるようになっている。 新しいインフラを担うためのシステムとして、2001年にシステムの更新が行われた。サーバ、ネットワーク機器を二重化し、ディスクすべてにRAIDを採用した、高い信頼性のネットワーク情報システムとして構築された。